2013年1月31日木曜日

セクマイ×地域 トークイベント 記録

くるりん大阪主催イベント「セクマイ×地域」開催時に、会場で作成された要約筆記のテキストを、後日講師の方に校正して頂いたものを、イベントの記録としてこちらのブログで公開致します。無断転載等はご遠慮下さい。

このテキストは厳密な文字起こしではありませんし、プライバシーの問題であえて削除している箇所もあります。あくまでおおまかな記録としてご覧下さい。

【セクマイ×地域〜「LGBTを知らないひとたち」と、一緒に。】
2012年11月11日  13:30-16:00


遠藤/こんにちは。
今日は忙しい中お集まりいただきありがとうございます。
くるりん大阪を立ち上げた遠藤まめたと申します。
くるりん大阪のことを代表にお伺いします。


村木/雨の中、ありがとうございます。
代表の村木真紀と申します。どうぞよろしくお願いします。

このイベントを企画したきっかけは、まめたさんと湯浅誠さんの講演に行った時に、市民活動は広く社会を巻き込む「外交」が必要だという話を聞いたことです。

これはLGBTの活動に関しても言える事で、LGBTのことを、LGBTを知らない人たちにどう伝えていくか、考える必要があると思います。

そこで、いわゆる「外向け」の活動をしている人たちをお招きして、具体的にどんな風に活動しているのかを伺い、一緒に考えたいと思います。

今日は素晴らしいゲストが来ています。
この3人の方のお話を、大阪で聞くのは初めてではないでしょうか。

私も楽しみにしています。よろしくお願いします。

※参考:企画の背景
http://kururinosaka.blogspot.jp/2012/10/blog-post_31.html
http://kururinosaka.blogspot.jp/2012/10/2.html


遠藤/配布物の確認をします。(略)

自己紹介してないですか?遠藤まめたです。よろしくお願いします。

今日のイベントはAIBOという団体から助成を受けています。

今日のグラウンドルール、決まり事です。

休憩もなくタイトなスケジュールです。休憩は自由に取って下さい。

お手洗いは、入り組んでいてややこしいですが、障害者用のもありますのでご利用ください。

個人的なことについて、今日の来場者の中で話したくないことは話させなくて構いません。

参加者の話はここだけの話として、個人情報を守って下さい。今日のゲストが話す内容などブログなどで情報交換もしたいとは思いますが、ここだけの話のことは流さないでください。

今日は多くの人が参加しています。異なる価値観の人もいるので、違いを尊重しながら交流して下さい。

今回、メディアの取材が入った場合には、撮影はフロアの皆さんを撮影しません。すべてこちらの舞台側だけですのでご安心ください。

以上、主催者挨拶です。

早速ですが、ゲスト皆さんから、それぞれの活動紹介を15分ずつ、スライドと共にしてもらいます。その後、トークセッション、質疑応答です。

質疑応答の時間は20分です。なので、質問も少ししかできないかもしれないので、最後のアンケートに書いてください。

これからはゲストの話をお伺いします。

1人目、石崎杏理さん。

福岡近郊で講演なども行っておられます。2010年から交流会も行なっています。

もし、LGBTなど、使っている言葉がわからない場合は、3枚目のイラスト付きのものをご参照くださるか質問用紙に記入ください。 


石崎/こんにちは。よろしくお願いします。

私は「福岡でじわじわ」の話をします。

28歳、世田谷生まれ、五才から福岡。現在23年目です。

FRENS(Fukuoka Rainbow Educational NetworkS)のメンバーです。

好きな動物はかば。

好きな物は麺類で、特に神座が好きですが、福岡にはなく、大阪に来るのは楽しみです。先日も東京で神座に行きました。

教員をしています。

FRENS は子どものセクシュアルマイノリティをサポートする団体です。

情報発信と居場所作り、やっぱ愛ダホ!の活動をしています。

10月に福岡県久留米市でシンポジウムをしました。そのときのことが新聞にも掲載されました。

子どもや保護者にはカミングアウトしていませんでしたが、保護者が賛成していたので良かったです。

福岡での団体は、2008年に始めて福岡教育大で設立しました。

愛ダホ!の街頭アクションを開催しています。

今年はいつも開催している天神警固公園が工事で開催できなかった。

2010年からは講演もしています。

私のこれまでの活動の話をします。

発端は2007年冬です。

高校の時から福岡で一緒にやっていく人がいなかった。もやもやとくすぶっていた時期もあった。スライドの玉木宏は僕をイメージしたわけではなく、好きだからです。

そういう時期にぼくは4年で大学卒業ができなくて、5年行ってアルバイトをしました。

24歳で卒論のテーマをセクシュアルマイノリティーの支援にしました。言葉を豊かにする、というテーマでしたが、後に変えました。

大学の人権の講義を受講もしていました。

日本赤十字のサークルオブピアの活動をして、学生たちと繋がりました。性教育を行ったりという活動をしていました。

サークル活動の中で高校生に対して自分や性のはなしをしました。

大学の人権の講義で、卒論の相談によって先生と繋がりました。

サークルで人前で話したのがきっかけで、人権の先生にゲストスピーカーとして招かれました。

それが転機になりました。それ以来話す機会が増えました。

24歳夏、東京に行きました。これは遠藤まめたさんもかかわっていた、日米LGBTユース・エクスチェジ・プロジェクトに参加しました。

ワークショップに参加して色んな人と接することが出来ました。

福岡にセクシュアリティのミックスのバーはあっても、偏っているお客おらず、ゲイとレズ

ビアンはお互い嫌い合っているというイメージが福岡にはあった。

私はワークショップに参加し、福岡にもミックスのコミュニティーをつくりたいと思いました。

セクマイのことを学べる機会がほしいと思った。

福岡教育大でLGBTのサークルを作り、そのサークルを通じて外部ともつながっていきました。

一緒にやる仲間と出会いたいと思い、愛ダホ!を開催しました。

これがその後に繋がっていきました。

愛ダホ!は、九州の天神で開催しました。

福岡でやりたいという気持ちが強くなっていきました。

愛ダホ!の人に交流会をしませんか、と聞いたりした。

交流会をしたいメンバー6人で、福岡LGBT交流会にじだまりが2009年に開催されました。

色んなところ講演はしましたが、いずれも新聞や教員の口コミで他のエリアで研修することもありました。

教員になって2年目ですが、それが人と話せるようになったきっかけです。

教員になっても自分では変わらないように感じますが、周りから見ると、変わったようです。

2012年6月、hacoという福岡の、大阪のdistaのような場所のようなところで、慎二さんに出会いました。

教育に関して子どもをサポート出来るようなネットワークを作りたいなと思いました。

子どもや若者のサポートに焦点をあてています。

また、愛ダホ!をまたやりたいなという思いもありました。

発展することが難しいと思ったので、母体団体が必要だなと思ってました。

先日の10月に久留米市女性週間記念事業の企画としてシンポジウムをしました。

男女共同参画の女性の方に助けてもらいました。

福岡市と行政が一緒にするのは難しいだろうから、まず久留米で実績を作ればと言われてしました。

最近の活動は、にじだまりの認知度が高まり、10代の参加者や10代の子どもを持つ親の参加も増えてきた。

教育現場と連携した可能性が見えてきた。

教育委員会や生徒からのカミングアウトでの相談など。

福岡にLGBTの家族と友人の繋がりもできました。

市議会議員との連携もできました。

一緒にしたいという人も増えてきて、広がりそうです。


遠藤/愛ダホ!は全国20カ所くらい、街角でLGBTに関するメッセージを読んだりなどの展開をしている団体です。

続いて、ひろこさんの話です。

教育系IT会社に勤めながら、レズビアンであることをオープンにしています。

最近話題になったのは東京ディズニーリゾートで同性同士の結婚式が出来るかを問い合わせたことです。


ひろこ/こんにちは。よろしくお願いします。

私は両親が福岡出身で、横浜で生まれました。たこやきが大好きで、今回のイベントにもご縁を感じています。今は東京に住んでいます。

平日は教育系ITベンチャーで勤めています。

仕事以外では、セクシュアル・マイノリティの支援活動をしています。

同性パートナーの東さんとカップルとしても、個人としても発信をしています。

今日は小雪さんが話に何度か出てくると思いますが、いつも呼んでいる通り、小雪ちゃんと呼びますね。

自分が主に関わっている活動を紹介します。

セクシュアル・マイノリティも安心して企業で働けるように、企業向けに講演やコンサルティングを行っている虹色ダイバーシティのスタッフです。

小雪ちゃんが金沢の出身で、金沢市とその近郊に住むセクシュアル・マイノリティの交流会を定期的に開催しているレインボー金沢という団体にもスタッフとして関わっています。

今日、私がここに呼ばれたのは、東京ディズニーリゾートで同性カップルも結婚式ができるという公式見解を引き出したことについてだと思います。

スクリーンに小さい●(円)があります。

1%というのは、Twitterなどを使っているセクシュアル・マイノリティの数です。最新の数字ではセクシュアル・マイノリティは人口の5%とも言われていますが、仮に5人に1人が積極的にTwitterなどでセクシュアル・マイノリティ関連の情報を得ているとした場合の数字。

普段、TwitterやFacebookなどで発信しているとこの人たちに届く可能性があります。

次の黄色い●は15%。これは、日本のTwitterユーザーの割合です。だいたい6人に1人がTwitterを使っていると言われていて、ネット上で大きな話題になると、この層にリーチができると思っています。

最後が白い●。100%、日本の人口です。

ここに広げるためには、ネットだけでは難しく、新聞やテレビなどのメディアでも取り上げてもらうことが重要です。

ディズニー同性結婚式OKについての簡単な経緯をお話します。

今年3月23日に、シンデレラ城での新しいウェディングプランが発表されました。注目のニュースとして流れてきて、私も小雪ちゃんと話している中で、同性カップルもこのプランが利用できるのか疑問に思い、翌日、電話で問い合わせました。当初は「男女に見える格好ならOK」との返事でした。不思議に思って担当の方にいろいろな質問をしたら、一般のお客さまへの影響を心配されていました。電話の途中からはLGBTの活動をしているのでこの話をオープンにしてもいいですかとも聞きました。

担当の方も困ってしまった様子で、1週間お時間をくださいと言われ、アメリカのディズニー本社にも問い合わせてくれました。1週間後の正式回答では、男女に見える格好でなければダメという当初の回答から変わり、ウェディングドレス同士、タキシード同士でも利用可能というお返事をいただけました。

お手元の資料にもありますが、Twitterで発信したところ、発信から2時間以内に4000以上リツイートされ、ネット上で大きなニュースになりました。小雪ちゃんのブログからのツイートなども合わせると、もっと大きな数字となります。

この時点でネット上で話題になったので、先程の黄色い●の層にはだいぶ伝わったかなと思います。発信元は小雪ちゃんから、ということで統一しました。

この時のポイントは、主観を排除して、ニュースとして発信したことで、色々な層の人たちにリツイートされやすかったのだと思います。

同性カップル当事者が「ディズニーで結婚式ができて嬉しい」とつぶやくのではなく、事実だけを伝えるニュースとして発信しました。

これが4月の話です。

5月にもっと大きく広まったきっかけは、毎日新聞夕刊に掲載してもらったことです。

この記事掲載にいたるまでに、これまで性同一性障害や性分化疾患などの連載をしていた担当記者と2月に知り合いました。同性愛やLGBT全体のことなども取り上げたいが、なかなか切り口が見つからないとのことでした。今後はぜひ同性カップルについても取り上げてもらいたいとお願いをしました。

ディズニーの件で、インターネットで「ありがとう」を伝えようというキャンペーンを行い、サンキューメッセージを公募しました。130を超えるメッセージが集まり、せっかく届けるなら、直接届けに行こうということになりました。「ありがとうミッキー」と書いたプラカードを作って持っていき、1時間並んでミッキーと会って、ミッキーにサインをしてもらいました。

この写真は2人とも写りが悪いのですが、、ミッキーと写っているのはこれしかなかったので、この写真を使っていただきました。

インターネットで話題になった後に継続してアクションを起こして、サンキューメッセージをミッキーに届けに行ったことで、毎日新聞の記事につながりました。

このときの広がり方は想定外で、他の新聞、スポーツ紙、ラジオ、テレビ、ヤフーニュースなどにも取り上げられました。ロイター通信、AFP、APの3大通信社から海外にもニュースが配信されました。

セクシュアル・マイノリティのことを知らない人たちにどうやって知ってもらうか。マスメディアに取り上げられるためには、ネットで話題になることも重要です。ディズニーの件もネットで大きく話題になったことで新聞でも取り上げてもらえました。

ニュース作りのために、ソーシャルメディアで話題になりそうな企画を考えてみたりしています。

あと大切なのは写真です。今回はミッキーも一緒に写っていることでインパクトが大きかったのだと思います。

ソーシャルでのネタ作りでは、例えば、レインボー金沢のステッカーを作るときに、デザインコンテストを開催して、全国からデザインを募りました。アキさんという方のデザインを採用し、オリジナルステッカーを作ったというこの切り口で、北陸中日新聞に取り上げてもらいました。

私たちは、おもしろく取り上げてもらえそうなことをいつも考えています。

よくメディアの人とお話をするんですけど、取材の依頼がきたときには言葉遣いなどを中心に要望を伝えます。例えば私だったら「レズ」とは書かないでほしい。「レズビアン」とか「同性カップル」と書いてほしい、といった具合に。

基本的に新聞やテレビは情報が出る前に内容のチェックはさせてもらえないので、事前にこうしてほしいとリクエストした上で、実際に記事やニュースが出てから、担当記者さんに感謝と周りの反響を伝えます。いつも100%納得いくように取り上げてもらえるわけでもないので、「こういう表現は次回からやめてほしい」というようなことを正直に丁寧に伝えるようにして、メディアの方との関係作りをしています。

取材の依頼がきたときに、自分たちが普段発信していることや方向性と合わない場合にはお断りしています。

私たちはこのテーマを社会問題として真面目に扱ってほしいと思っています。

最後に、メディアの人もセクシュアル・マイノリティやLGBTのことを取り上げたいと思っている人が多いということをお伝えしておきます。『ゼクシィ・アネーロ』というゼクシィの大人版の結婚情報誌では、今年8月に出た号でゼクシィ史上初めて同性カップルが特集されました。最近編集長とお話する機会があって、「3年前くらいから同性カップルを取り上げたいと思っていたけれど、当時は編集部内で同性カップルを取り上げる雰囲気は全くなかった」とおっしゃっていました。

また今年10月にフジテレビの密着取材を受けたのですが、担当ディレクターによると、数年前から同性愛者のことを取り上げたかったが、やはり当時はNGだったと話していました。ディズニー同性結婚式OKのニュースを見て取材の連絡をくださいました。

今年は国内外の色々なニュースもあり、セクシュアル・マイノリティやLGBTのことを取り上げやすい環境になっていると思います。

今後もこちらから積極的にニュースを提供したいと思っています。

長くなりましたが、ありがとうございました。


遠藤/遅れて来た方もいると思うので、アナウンスを。

写真撮影は、記録用ですので公開はしません。

資料内に真っ白な紙があり、質問用紙です。

トークセッションのあと、質疑応答を予定しています。

トークセッション中にスタッフに提出をお願いします。

最後に、慎二さんからの活動の紹介をお願いしたいと思います。

NPO法人SHIPの代表です。

2002年から、活動を始めて、いろんなことをしています。

慎二さんよろしくお願いします。


慎二/こんにちは。

横浜から来た星野です。よろしくお願いします。

大阪は今年2回目です。とても好きです。

大阪の人は僕のタイプが多いからです。くだらなくてすみません。

SHIPの概要を説明します。今年からNPO法人になりました。設立は2002年12月です。

野外発展場のコンドーム配りから始まりました。

その後、ゲイバーのアウトリーチを始め。

2007年から神奈川レインボーセンターSHIPを開設しました。

大阪ではdistaのようなところです。

今年からNPOになりましたが、役員は私としらかば診療所の井戸田先生、宝塚大学の日高先生、県立高校の児玉先生など、4人の役員で構成しています。

SHIPはセクシュアルマイノリティの孤立している人をコミュニティに繋ぐ支援、あとは情報提供もしています。

健康支援として、カウンセリング、電話相談、エイズの検査などもしています。

みんなに届くネットワークづくりとして、学校講演やプレゼンスキャンペーンなどもしています。

神奈川県との協働事業の経緯を説明します。

平成18年に「かながわボランタリー活動推進基金21」申請しました。

この協働事業、NPOと行政の両者が力を合わせて成果が出るものに支援しましょうという制度です。

この補助金は最高年間1000万円です。

うちでは年間700万ほどもらって、コミュニティーセンターをオープンしました。

この制度の特徴はお金を出すだけでなく、行政も活動に一緒に参加します。

最初はエイズ担当の健康福祉局との協働でスタートしました。

当初の学校へのアプローチは保健福祉部を経由し、教育委員会の保健体育科、養護教諭へ資材を送っていました。

ですが、これがなかなか上手くいきませんでした。

協働事業は1年ごとに見直しがあるので、翌年のプレゼンの時には、今までの問題点を伝え教育委員会と協働でやりたいと伝えると、審査員に認められたました。

この審査員は、大学の先生や、新聞社などの有識者で構成させています。

そこで認められ、教育委員会との連携が21年度から始まりました。

これにより、教育委員から各学校長に直接周知して頂けるようになりました。

でも、21年度も学校には送るけど、末端の先生方には届かないと分かりました。

管理職のどこかで止まってしまう。

ゲイに対する嫌悪感が強いことと、セクシュアルマイノリティをタブー視する傾向があると分かってきました。

一番最初はゲイ対象でしたが、それだけでは進まないため、途中からセクシュアルマイノリティ全般に広めるようになりました。

最初は教職員向けの資材をつくりました。

それから21年度から生徒向けのポスター、22年度からDVDを作りました。

23年度からは教職員向けの研修、23年度途中からは生徒向けの研修も行えるようになりました。

教育委員会と一緒に話をして、分かったことは同性愛者やゲイといった直接的な言葉も学校の中で嫌うということです。

そこで、資材にはそういう表現を避けて、同性を好きな人や、性別に違和感のある人、というような表現を使いました。

このポスターは生徒向けに作ったものです。

(スライド参照)

相手が異性でも同性で愛には変わりがないというシンプルなものです。

すごいシンプルですけど、先生のうけは良かったです。

学校の職員室前の廊下などに貼って頂けるようになりました。

先生に身近に感じてもらうための工夫として、実際のセクマイ当事者の高校生に出演させて、DVDをつくりました。

先生に身近に感じてもらうために、高校生の声が1番だと思いました。

このきっかけは、平成22年の頃のある学校の保健委員の生徒がSHIPを見学に来て、感じたことを学校の文化祭や保健委員会で発表。それを聞いたPTAの人が来てPTA会報にSHIPのことを載せてくれたことがありました。

高校生の視点で伝えるということは影響力があると思い、それをヒントにDVDをつくりました。

当時、高校3年で顔出しOKの子がいたので偶然作れました。

そのDVDを教育委員会から配布していただきました。

このときは県立の学校は教育委員会から配り、市立、私立の高校には直接郵送しました。

これにより、メディア(新聞)が取り上げてくれました。これがそのときの記事です。

同性愛者、素顔の男子学生映像化、と書いてあります。

高校生が出るってすごい影響があるんだなと思いました。

それによって今までタブー視されてきたことが拭えたのだと感じます。

その他に、教職員向けの研修会。右側の記事は去年の8月にFTMの高校生と大学生が講演に行ったときの記事です。

写真は高校生は出ることが出来ないので大学生の写真が使われていますが、記事の見出しには「横須賀の高校生ら、」という表現になっています。

大学生より高校生の方がインパクトがあり、記事になりやすかったようです。

先生との関係作りは、カベができないように先生が困っているからお手伝いをしていという視点で接しています。

先生と顔の見える関係を作るということを心がけています。

外部の機関に紹介するのは難しいです。

全く知らないところでは事件に巻きこまれると、困るので。

先生との信頼関係を心がけています。

時間オーバーしていますが、次。

今後の課題は、県立高校にしか直接話をしなかった。

県立高校の管轄は県立高校だけです。

神奈川県には、市立高校や私立高校が70校ありますが、それらは県教育委員会とは全く別だということです。

また、中学はもっと複雑で、神奈川県内には中学校が450校ありますが、それぞれの市町村の教育委員会が管轄しています。

そのため、まずは教育事務所との連携づくりのため、県や政令市の教育委員会との連携をはかるために今年度から性的マイノリティ人権・教育委員会推進協議を定期的に行う事になりました。

村木/ありがとうございます。3人のお話、とても興味深かったです。

記者、先生、保護者など、ちゃんと顔を繋いで、信頼感を作るのがとてもよいと思いました。


遠藤/シンジさんの話を聞いて思い出しました。

神奈川県の高校には繋がりがありました。

今、話されたことは成功事例が多いですが、私の失敗話ですが、同じ助成金をもらい冊子を作り、中高に配ると反応が一件しか無かった。アプローチ方法で反応が変わってしまうなぁと。

自分の母校で、相手が同性でも異性でも対象は関係ありませんというポスターは、校内でやっと貼ってもらえました。

これからトークセッションです。

スタッフが質問シートを回収しますので、渡して下さい。

トークセッションの一つ目の質問です。

皆さん、様々工夫しているのだなと思いました。

知らない人にとってマスコミの使い方や、働きかけ方など。やらなくて失敗したこともあり、葛藤もあったことなど。

なんでこういう言葉を使ってはいけないのかな、という思いもあると思いますが。

杏理さんからでいいですか? 


石崎/福岡ではコミュニティ内よりもコミュニティ外の人に助けてもらったことが多かったです。

駆け出しの頃は大学先生やサークルの人など、手当たり次第に話す。

この人になんで話さないといけないのかな?

や何か得るものはあるのかと思いつつ、自分には何もなかったので話し続けた。

実りのない話も多かったが、その中のいくつかで講演をもらったり、口コミで紹介をしてもらったり。

自分は話すことから始めました。

大学で黒人権利運動を勉強していたその先生から、マイノリティであるから、黒人の人権と重ねて見られていました。

「やるならマジョリティの分かる言葉で話しなさい」と言われました。

そう言われつつも、なんで分かる言葉で話さなければならないのかと疑問に思っていました。

最近では学校の先生独特のキーワードがあるのかなと。

いじめや発達障害に関することなど、絡めながら話してしていくのは大事で、理解しやすいのかと思います。


村木/わかります。私は企業に対して話しますが、その業界で使う言葉をちりばめると、反応が違うと感じています。


ひろこ/工夫していることの1つ目は言葉の使い分けです。

マスメディア向けには、わかりやすい言葉を使います。

コミュニティ内部からは丁寧じゃないとのお叱りの声もありますが、あえて使っている場合もあります。

最近は名古屋で虹色どまんなかパレードを歩いたときに、「彼女と安心して暮らしたい。」というわかりやすいメッセージのプラカードを掲げました。沿道の人から見ても、彼女と一緒に歩いていてこのメッセージははわかりやすかったのではないかなと思います。

私は会社でもオープンにしているので、「社会の中にセクシュアル・マイノリティがいて当然」というふうなスタンスで会社のメンバーと接しています。

新しいアルバイトスタッフが入ってきたときにも、特にカムアウトせずに、自然に「私の彼女がね、、」と話しかけたりしています。

会社でカミングアウトしていると、会社メンバーのつながりで、LGBTのイシューに関心がある知り合いがいてね、とお話をいただいたり、仕事の関係者からLGBT関連の取材が決まったこともあります。


村木/会社でカミングアウトするとしんどいこともありますが、ひろこさんの会社の場合はポジティブにとらえられていますよね。


ひろこ/私の会社では一つの個性として受け入れてくれています。

社員もリベラルな方が多いので。


慎二/今、言われたように、分かりやすい言葉。それはすごい。

難しいことを言っても分かってもらえない。

身近に感じてもらえないために、ご苦労かけています。

最近は講演会などで若い人を連れていきます。

僕が話しをするよりも、若い子が自由に話しすることのほうが、先生も身近に感じてもらえると思います。それだけで充分なんじゃないかな、と。

当事者と直接話す機会があれば身近に感じて貰える。

先生って若い子が好きなんですよね(笑)

若い子と直接話をしてもらった方が良いと思っています。


遠藤/自分は子どもの電話相談する人と繋がりが強いのですが、子どもの電話相談の人は基本的に子どもが大好き。

研修にも若い人が来ると、始まる前から良い会だなー、と思ってもらえます。

子どもが好きという共通点だけで、クリア出来る壁もあるのかな、と思います。

もう1つ質問いけるかな?

今後特に繋がっていきたい人や、繋がっていく中で自分の活動をどのように展開していくか、とかセクシュアルマイノリティに限らず、何かあれば。


石崎/ダイレクトに子ども、若者とつながっていきたいです。

でも、声を届けるのが困難でした。

繋がっていきたいけど、そのためには学校関係者と繋がっていかなければならない。

福岡市の学校の先生は、とてもセクシュアルマイノリティに嫌悪感を持っている。

気軽にネタにして、子どもから笑いを取る人もいます。

去年の福岡市の人権の研修会のネタでホモネタが出されて、200人くらい参加している中で、笑いになるということもありました。

学校の先生の研修をもっとしてほしい。

教育委員会にもっと働きかけてほしいと思う。


村木/セクシュアル・マイノリティの話をするのに、都市部よりも福岡などの方がしんどいと聞きますが、その点はどうですか?


石崎/福岡はわりとリベラルなのかもしれません。わりと。

九州男児のような固定観念も広くはないです。

ただやりやすくなる気はするし、私もトランスジェンダーだけど、カミングアウトすることによってヤバイことにはなってないですね。


村木/一番味方になってくれているのは?


石崎/僕は4年生の担任ですが、同じ学年の先生に人権の頭の先輩がいたり、隣のクラスの先輩が去年からとても良くしてくれています。よく話を聞いてくれます。

去年は学校で出される人権教育の話をしても、きいてくれませんでしたが、今年は聞いてくれる先輩がいるので言えるようになりました。


村木/職場の先輩が聞いてくれるのは安心しますね。


ひろこ/個人として発信する場合に、セクシュアル・マイノリティを知らない人にいかに知ってもらうか、がテーマ。日本では宗教的な理由などによる強いフォビアというより、なんとなくの偏見とか、実際にセクシュアル・マイノリティの人に会ったことがないから「怖い、気持ち悪い」という印象を抱いてしまっている人が多いと思う。そういう人たちは正しい知識や情報がないだけで、知識をつけたりセクシュアル・マイノリティに出会ったりすることで、偏見がなくなって支援者になってくれるかもしれない。

今セクシュアル・マイノリティやLGBTのことを知らない人に、メディアを使って発信していきたい。私は同性パートナーと生きる人で、個人的には同性カップルを守る法的な保障もほしいと思っています。


村木/私はひろこさんの話し方がとても好きです。上からでもなく、下からでもなく、横からのスタンスがすごく聞きやすいのだと思います。

セクシュアル・マイノリティって、LGBTとかセクシュアリティとか、多くの人が普段使わない言葉が色々出てきますよね。知らない言葉を覚えてもらう必要がある。

大きい会社の優秀な方だと特にかもしれませんが、「知らない」ということを強調すると、気を悪くされる方がいます。知らない事を責めるようなニュアンスにならず、でも、知ってほしいんです、と、その投げ方が重要なのかなと思いました。


星野/私が今感じたことは、当事者だけだとなかなか輪を広めるのには限界があるので、ヘテロセクシュアルの人に関心を持ってもらってネットワークを広げたいと思っています。

この前、僕と同じぐらいの夫婦がセクシュアルマイノリティの活動に興味があるとのことできました。

セクシュアルマイノリティの方ではないですが。SHIPのパンフレットを母校に持って行きたいと。

そこからヘテロセクシュアルの人に自主的に動いてもらうことも必要だと思います。


村木/すごく大事なポイントですね。

多くのヘテロセクシュアルの人にとってはLGBTは他人事ですよね。

理解してもらうのは大変なエネルギーが必要だと思うんですけど、何か気を付けていることはありますか?


星野/この前一回あった時ですが、学校の反応が検討ということで止まってしまった。

持ってった本人は、それで終わってしまったことでショックだったと思います。

そこからモチベーションを高めるようにやっていかないといけないですが、そこにまだ繋がっていないです。


村木/ヘテロセクシュアルの人にどう動いてもらうかが重要ですね。

他のお2人は工夫していることはありますか?


ひろこ/支援者の方についてはいかに共感してもらえるかがポイント。個人的な具体的な困りごとなどを話して、身近な存在に感じてもらえるようにしています。そこから始めて、次のステップとしてこちらが望む支援の方法を具体的にお話ししています。


村木/個人的・具体的な話を開示するということですね。

それが何かその人の心に残ることはありますよね。

日本で生活したら似たようなところで、具体的には、「ごはんを食べる、寝る」など。

LGBTも他人じゃないんだ、ということに繋がるのかなと思います。


遠藤/2種類の感情があると思います。

一つの社会問題に対して、自分があまり困ってない人であれば、興味がないか、・・・

自分は大変な時期があった。

自分はトランスジェンダーで学校の制服が着られない時期もあった。

授業でホモネタなどが出ると自分のことだから慣れてても、友達も対応に困っていて、お互いに落ち込んだ。

他人事だとしても気が付いている人もいるので、それをどうするかがポイントだと思う。


石崎/うちのFRENSの団体にもセクシュアル・マイノリティではないメンバーもいる。

シンポジウムで司会もしてくれました。

先生達は子どもが大好きという話が出ていましたが、僕が28歳にしては若い見た目なので、これを活かすと学生に話をすれば同年代が話してくれていると思うし、先生に話しをすれば、若い子が話しているんだという気持ちにさせたりして、コンプレックスだった見た目が講演では逆に活きたのかなと。

難しすぎることはしんどいので、チラシを一緒に配りませんか、とか、講演を一緒にしませんかなど一緒にしてきました。


村木/福岡の繁華街でLGBTとして顔を出してスピーチなどをすることは当事者にとっては、ハードルが高いかなと思いますが、アライの人ならビラも平気ということですかね?


石崎/活動をするに辺り、福岡でずっと育っているので、いつ知り合いに会うかという状況でした。

大学以前の友人にはカミングアウトしてなかったので、そこでするには今までの人間関係をなくすかもとの決意で始めました。

大学で立ち上げたサークルでも、新入生歓迎の時に500枚くらいのチラシも配っています。サークルにもアライの人もいて、混ざっているからできることもあります。

愛ダホ!でも堂々と活動的にしたいと思っていて、見た感じでコソコソやるような活動とは思われないようにしてきました。


村木/今の話でポジティブがキーワードかと思いました。

しんどいこともあるけど、ポジティブなことで入ってくる人も多いのかなと。


石崎/街頭できちんとしたことを伝えるのは難しいと認識していた。

だから、LGBTのイメージを変えることを目標にしました。

天神警固公園でなければいけない。

ここは通過もするが、待ち合わせでのどかに座っている人もいる場所なのです。

セクマイの人がこんなに堂々とするの?とイメージを変えたくて、わざわざそこでしていました。


遠藤/残りトークセッションは10分ほどです。

最後に1つ質問があります。

何かを始めたいと思ってる人へのアドバイスと続けていく上でのコツを簡単に一言ずつ。


慎二/続けるのは大変なことです。

途中でくじけそうになることもあります。

続けないと成果も出てこないのはありますし。

続けるためには、自分が楽しくすることです。

自分のメリットになることをやってる。

人の為にやってあげてるというスタンスだと続かないと思っています。


ひろこ/何かを始めたい人について。アクションを小さなことと思わないで、できることから積極的に始めてほしい。ディズニーの件は、偶然も重なって大きなニュースにな りました。そのきっかけは1本の電話だったんです。

電話というのもハードルが高いかもしれませんが、匿名での電話でもいいんです。

例えば、情報をTwitterで拡散するとかでも、まずは小さなことからでいいと思います。

続けるコツは、自分を大切にすること。自分を大切にできないと、周りの人を傷つけてしまうこともあるし、まずは自分を大切にしてほしいと思います。それから、きついと思ったら無理をせずに休んでください。私も仕事をしながらの活動なので、無理をしすぎないように、マイペースを心がけています。


村木/自分を大切に、自分が楽しむというのは、本当にそのとおりだと思います。

続けることや、始めることは、自分が楽しく元気にやっていると、周りの人もついていきやすいのだと思います。

そしてまた理解が深まるという良いサイクルになるのだと思います。

楽しさを見せるためにはしっかり休まなきゃ。


石崎/1年目の愛ダホ!をする際、スタッフがついていけなくなったことがあった。

交流会をやるときにもっとも大切にしたことは省エネでやるということです。

1年ごとにやるためには、コツコツとします。

2月で3年になるんですけど、始めるときは3年はやりたいと思っていたので普段から省エネでやろうとしています。

また、ストレスを感じるような、にじだまりだった日は、一緒にご飯食べ行って解散するとかしています。

スタッフ間で大切にしていることを共有しあっています。


村木/それもすごく共感します。

今まで、一生懸命にやりすぎて、途中で起きられなくなってしまうくらい、しんどくなることが何回かありました。

特に省エネをするのが難しいなと思ったのが、最初にコミュニティに入った人で、何かやってみたい、と熱烈に思っている人たちが来たときに、リズムをどう保っていくか。

その人のヤル気を尊重しつつ、バーンアウトしないようにやっていく必要がある。

何かそういう苦労はありますか?

私の工夫で言うと、お互いに相談し合っていると、しんどくなってくるので、外部リソースを使っています。

外部リソースというのは行政がやっているカウンセリングや相談窓口などです。

友達の友達つながりなど、薄いつながりも尊重していく。自分たちだけでやらないようにしてます。


遠藤/自分も電話相談はヘビーユーザーです。それに関連しているかわかりませんが。

質問がマニアックになってる気がする(笑)


村木/マニアックな質問ですみません。

学校では若い人に声を届けたい。でもそのときに超えなきゃいけない壁がある。

慎二さんの話で、学校の上層部のどこかでつまってしまうというのがありましたが、保護者の人の反応を気にして、教職員の人は止めると思うんですよね。

保護者の人のことで注意していることはありますか?


慎二/最初は気にしていましたが、最近は気にならなくなりました。


村木/最近保護者の方って変わりました?


星野/直接はありませんが、先生の反応はすごく変わって来ました。

学校の講演、教職員向けの研修の記事が載ってから、他の学校の講演が増えました。

今まで学校でセクマイを取り上げることはタブー視されていたようですが、新聞に取り上げられることによって「良いんだ」という意識にかわってきた。

今年の夏は、全国養護教諭サークル全国大会が神奈川県で開催されましたが、その中でセクシュアル・マイノリティの講座を設けて頂けました。


村木/行政は縦割りの横並び意識が強いと思っているんですが横浜はスゴいですね。

横の繋がりがあると思うんですけど、横浜ってあまりそういうのは気にしてないですか?


星野/県内の県立高校に関してはいろいろやってくれるようになりました。

県教育委員会も注目していますね。


石崎/慎二さんみたいにやっていないので、思えないですが・・・。

子どもにカミングアウトするつもりは無かったんですけど、担任になって、カミングアウトしようと悩み始めた時に、校長に相談しました。

校長はあなたがしたいならしたら良いと。

1070人くらい子どもがいるので、いろんな保護者もいます。

そのときは、「あなたは間違っていないから説明するし、表に立つよ」と行ってくれました。結構驚きましたね。

来月の12月にカミングアウトする予定です。

2年連続で新聞にも載ったので、僕のことを知ってる子どももいます。

同じ学年の主任に相談したら、友達関係は持っているので、他のクラスにも話したらいいと言っていました。

人権教育の一貫として、先生達は捉えていない。

「チクチク言葉」といって、心にチクチクささってくる言葉を福岡では使っています。

例えば死ね、とかキモいとか。

言われてイヤな言葉を「チクチク言葉」と言って子どもに指導しています。


村木/聞きたいことが沢山で、マイクの奪い合いになっていますね。

学校の先生や行政の担当者や会社の人は3年くらいで異動しちゃいますよね。

また1からかというように。


星野/2、3年で変わってしまい、その度に、説明が必要になり苦労しています。

教育委員会との協働事業が終わり、今年担当者も代わりました。

今年の担当者は学校長をやっていた方で理解があり、こちらから頼まなくても自主的に動いてくれてます。

担当者によってぜんぜん違うんだなと。


村木/引き継ぎはないのですかねぇ。


星野/引継ぎしてほしいですよね。


ひろこ/石川県の人権担当者もコンタクトをしてすぐに異動になってしまい、あまり引き継ぎもなかったようです。

行政もセクシュアル・マイノリティのことはプラスアルファでしか動こうとしてくれないので、よほどサポーティブな担当者でない限り、同じ状況かなと。企業でも熱心な担当者の異動とともに、講演会などの企画が消えてしまうということもよくあります。


星野/ひきつぎはしてくれなくても、具体的な話は残っていきます。

どれくらい配った、何をしたなどの実績は残る。

前年度は、こんなことをしたと伝えれば、多少は動いてくれると思います。


遠藤/僕も固い組織で働いています。

柔らかい部分の人とのつながりなどはなかなか引き継がれないと思います。

でも、去年の実績や前例は残る。

そういうものには、引き続きしようかなということはあると思います。

なので、形に残す工夫をしたほうがいいかなと。


ひろこ/今の流れで言うと、私はメディア掲載記事をなるべく持っていくようにしています。とくにお堅い行政相手では、活動が掲載された新聞記事や、NHKに出演していますというような情報が有効だと思っています。


遠藤/時間が押しましたが、質疑応答に移ります。


一つ目、セクシュアル・マイノリティとかLGBTの言葉の使い方の質問です。

「LGBT」「わたし」「あなた」など活動の場面で意識して話すことがあると思います。

クラスで同性同士で付き合ってることもあるけど、まわりは、2人はつきあってるという認識でセクシュアル・マイノリティとは認識していない。

言葉に対して緩やかな人もいるのかなとか。

大雑把に言うと多様性というか、その人の性に向き合うというか。

例えば、活動の中で言葉の使い方について。

あえて「レズビアン」「ゲイ」と使うことや、メディアでの扱われ方についてなど、気にしていることはありますか?


ひろこ/自分のセクシュアリティを語るときは、「レズビアン」という言葉を使うか、「女性のパートナーがいます」などと説明をします。

取材の中でセクシュアル・マイノリティについて語るときには、難しいと感じることが多いです。私は「セクシュアル・マイノリティ」と「LGBT」をよく使います。個人的には、セクシュアル・マイノリティの「マイノリティ」の部分にプライドを持ちにくいのですが、LGBTを使うとそこから排除されていると感じて心を痛める人や友人が多くいることも知っているので、いつも迷います。用語については、試行錯誤しています。

今回、実験的にイベント用のプロフィールには、「LGBT+」と、「プラス(+)」というのを追加してみました。LGBTといっても、L/G/B/Tだけでなくもっと多様なセクシュアリティがあるので、それを「プラス(+)」で表現してみました。これは元々、レインボー金沢スタッフ間のディスカッションの中で出てきたアイデアです。「Google+」のようなポジティブな使い方もあるので参考にしました。インターネットで「LGBT+」で検索したところ、海外ではいくつか使用例もあるようでした。


村木/気付きませんでした(笑)。プラスってふりがなをふると、あえてかな?という感じもします。

虹色ダイバーシティではLGBTという言葉を使っています。海外に支社がある企業等は、LGBT施策が進んでいて、そのほうが今は通りがよいからです。

実はLGBTという言葉を使う度、友達のLGBT以外の人の顔が浮かんで、心が痛みます。その痛みを忘れないようにしたい。

時間がある限り、その他のセクシュアリティの話を説明するようにしています。


石崎/言葉の話なんですけどFRENSという言葉は福岡レインボー・エデュケーショナル・ネットワークという意味です。

LGBTとかセクシュアル・マイノリティという言葉を入れない名前にしました。

にじだまりでは入れていましたが。講演をするときには、いつもここには当事者がいるということを忘れないようにしています。

自分がトランスジェンダーだけど、自分が男だとは思ってないけど、それを説明するのはみなさんを迷路?に巻きこんでしまう感じがして、あえて誤解されると分かっているけど、僕は女性の身体で男性教員として働いています。

濁すような感じで発信をしています。


遠藤/次の質問です。

学校以外で情報を得る機会や場について、事例はありますか?

さっきもありましたが、もうちょっと掘り下げてお聞きしたい。

大人に向けたメッセージがあるかどうかもお願いします。


星野/今教育委員会との連携の他に、行政の人権課とも連携しています。

横須賀市と連携しています。

このきっかけは昨年フジノ議員が取り上げてくれた。

今年度の人権のテーマが「セクマイ」と「外国人」。

一般市民向けの講座が今年度2回ありました。


村木/他の自治体でその中の特集の1つでセクマイが入るって他の自治体では聞いたことがありませんが、蓄積があったのでしょうか?


星野/ツイッターでフジノ議員に働きかけてます。

全国の人がフジノ議員の発言をリツイートしてくれることで、フジノ議員もいろいろとセクマイのことで動いてくれてます。


村木/議員さんをモチベートするってことですね。


遠藤/サポートについても、福祉なども関連しているのかなと思います。


ひろこ/レインボー金沢は昨年立ち上げたばかりなので、とても参考になります。


村木/教育現場以外ではどうでしょう。

人権の話も、教育現場ではまじめに聞いてくれる人がいっぱいいる。

一般社会に広げると、フックが少ないかと思うのですが。


石崎/一般には、昨年度は福岡の人権センターが主催している市民講座で話しました。

そのときは自分が性の多様性の幸せ、それはどんな人にとっても良い、という決着点に持って行こうとがんばりました。

しかし、高齢の方は困惑されているという難しさがありました。


遠藤/最後に一つ。

色々活動していく中で、意見が違ったり、特に自分の場合、東京で活動したときは、自分だけトランスジェンダーで、周りはみんなゲイだったとき。

ゼロから説明しないといけない、と大変だったのですが、

地域や学校で活動する中で、自分の考えを外にだけでなく仲間に対して言うときにそこが一番エネルギーを使うのかな?と思うこともあるのですが。

グループの中での対立についてどう考えていますか?


石崎/大切にしていることは、「誰もイヤな思いをしない場」にしたいということ。

そのために考えたいというのがある。

そこに帰るときに意見が割れたりすることはある。

あとは、意見が分かれたときに、メリット、デメリットを考える。

それぞれのデメリットを補えるような形にしています。

多数決で決めない。

全員が納得出来るまで話し合う。


ひろこ/みんな熱い思いを持って活動しているので、やり方や意見が合わないことももちろんあります。大切にしている価値観が異なって困ることもありますが、自分がまずどうしたいか、どう思っているかを相手に伝えること、最初から喧嘩しないことを心がけています。

パートナーの小雪ちゃんが最近よく言っていることで、やり方が違う人も同じ山を登っている人なんだから、挨拶をしましょう、というのがあります。どうしても方向性が違うときには、そのときは静かに離れます。

不必要な喧嘩はしないようにしていて、無理して一緒にいるのではなく、お互い尊重し合いながらやっていければと思います。


星野/やってることは大きく見えますが、中の組織はめちゃくちゃです。

全員まとまって話すことはほとんどありません。

少人数で話をして、そこで決めてしまう。全体だと全然まとまらなくて。

特に資材を作るときは担当者を決めて、その人に任せるようにしています。

それでまとまらない場合には、外部に頼みます。

まめたさんにも頼んだことがありました。


遠藤/残念ながら時間になりました。

最後に感想シートの記入と、回収をしたいので、スタッフに渡して下さい。


村木/本日は、素晴らしいお話をありがとうございました。

大きな拍手をお願いします。

(拍手)

以上

2013年1月10日木曜日

セクマイ×貧困 トークイベント 記録

くるりん大阪主催イベント「セクマイ×貧困」開催時に、会場で作成された要約筆記のテキストを、後日講師の方に校正して頂いたものを、イベントの記録としてこちらのブログで公開致します。無断転載等はご遠慮下さい。
このテキストは厳密な文字起こしではありませんし、プライバシーの問題であえて削除している箇所もあります。あくまでおおまかな記録としてご覧下さい。
(なお、セクマイ×地域の方は、現在同様の手法で校正作業中で、追って公開予定です。)


【セクマイ×貧困〜不安とあやうさと、私たちの「つながり」】
2012年11月24日  16:00〜18:00


遠藤

本日は三連休の中日にご参加いただいてありがとうございます。

司会を担当するくるりん大阪の遠藤です。

(配布資料の確認)

本日の趣旨説明を村木の方から。



村木

くるりん大阪の村木です。

2012年、自殺防止の大綱に性的マイノリティという言葉がはいった。「よりそいホットライン」にセクマイの専用回線ができた。自殺予防など、セクマイのセーフティーネットがやっと整備されてきた印象。

が、ニュースの中で生活保護の不正受給のバッシングをみながら、心がちくちくする思いがする。なぜなら、生活保護を受けていたセクマイの友達を知っているから。貧困問題が語られる時に、セクマイの話が出てこない。

今日はきっかけ。セクマイと貧困について、これから一緒に考えていければ。

※参考:企画の背景




遠藤

今日は、前半はゲストと司会のトーク、そのあと会場も交えてフリートーク。

休憩もとるが、しんどくなる話もあるかもしれない。随時、休憩をとって、リラックスして参加を。



今日のお約束

無理をしない/無理をさせない。

個人的なことについて訪ねられても、話したくないことは話さなくてかまいません。しんどくなったら、いったん休憩してもOKです。

参加者の話は、原則ここだけの話。

今日ここの場所でみききした個人情報は、ここだけの話にしてください。(ツイッターをやっている人なども、中継はなしで)

ここには様々な人が参加しています。

自分とは異なる価値観(恋愛観・セクシュアリティ・ジェンダー・それぞれの課題など)をもった参加者との話を尊重し、批判&決めつけをしないように気をつけましょう



ゲストの紹介を。

みなさんからみて右手が、倉田めばさんです。フリーダムの代表で、薬物依存回復施設の大阪ダルクの代表です。

むかって左側が、御苑生笙子さんです。セックスワーカーの自助グループのスタッフです。



さいしょは、村木さんと笙子さんのトークです。



村木

よろしくお願いします。笙子さんに話していただきたいと思ったのは、共通の友人のことです。



御苑生

御苑生笙子です。本名ではなくセックスワーカー時代の源氏名で、セックスワーカーのための活動をする時に今でも使っている名前です。今日は村木さんと共通の知人、しげさんというゲイ友の話をしたいと思います。

しげさんとわたしは、岡山でセクシュアルマイノリティのミックスの団体、P3を一緒に運営していました。

知り合ったきっかけは、わたしの高校の同窓生がわたしの勤めていたギャラリーで写真展をやることになり、写真展ついでにギャラリーのプロジェクターでレズビアン映画の上映会を企画したことでした。

写真展をやる友人がレズビアンであることから生まれた企画でしたが、当時レズビアンの映画はまだ少なく、ゲイの映画もあわせて上映することにしたのですが、レズビアンとバイセクシュアル女性がゲイ映画を選ぶのは難しくアドバイスをしてくれる人を探していた時、ギャラリーに出入りしているヘテロ男性がカムアウトしているゲイの友人としてしげさんを紹介してくれました。

なぜか最初から気が合って、急速に親しくなり近所に住んでお互いの家を行き来して家族のような関係になっていきました。



村木

当時、岡山のセクマイのグループはとても活発だと思っていた。



御苑生

岡山では、ゲイだけで集まっていると人数が少なすぎて、ゲイ男性が始めた団体だったものが自然とミックスになっていたように思います。それがかえってよかったように思いますね。性別や性的指向がいろいろな人が集まったことで面白いことがいろいろできたと思います。

集まっていた場所がたまたま岡大医学部の近くだったので、GID関係で岡大に通っている人に同じ立場の人と出会うきっかけを作ってあげたいと紹介されることがあったり、女物の水着を着て泳ぎたいけど一人では難しいという人がいるので、好きな性別の水着で存分に泳ぐために島の民宿を貸し切って合宿をしたり、ドラッグクイーンをやってみたいと言い出したことが、大人気イベントに成長して連続開催になったり。

当時わたしは一人親で子どもを育てていたんですが、そのごちゃごちゃした人の中ですごくいいかんじで子育てもできてたと思います。

参観日とか入学式卒業式にもすごい人数で全員親気分で行きました。



村木

私が笙子さんと会ったのは、岡山ではなく京都でした。



御苑生

当時付き合っていた彼女が京都に住んでいたこともあって、わたしは岡山に住みながら京都の活動に参加していたんですが、その流れで京都に引っ越すことになり、岡山の活動からは離れたんですが、しげさんとの関係は続いて、その後あたしが大阪に引っ越したあたりでしげさんもまた近所に引っ越してくることになり、またご近所で密接に付き合うことになりました。

あたしは岡山>京都>大阪という引っ越しでしたが、しげさんは岡山>島根>大阪という引っ越しで、また徒歩圏内のご近所生活になったわけですが、あたしは恋愛がらみの引っ越し、しげさんは恋愛引っ越しではなかったんです。

しげさんは高専を出た後大学、大学院と進学していて、奨学金を満額借りた後、授業料が払えなくなって中退になったんですが、知り合った頃は大学院時代で、生活が大変そうだなあという印象でした。

しげさんは両親が高齢になってから生まれた長男で、優秀で期待されてる男の子だし、長男プレッシャーが強かったと聞いています。

しげさんの島根への引っ越しは、ご両親の介護のためでした。中退後も就職しないでアルバイト生活を続けていたことからの行き詰まりも関係があったと思います。



村木

しげさんは島根に引っ越しましたが、実家にはいられなかった?



御苑生

お葬式の時に何人もの人が言っていた言葉を使うと、しげさんはすごいラブリーな人。どこに行っても愛されていたと思います。

それは実家のある街でも同じだったと思う。

しげさんは、町内が親戚だらけの実家に住んで、それぞれ違う病院に入院してる両親の面倒を見ながら、近所づきあいも親戚づきあいもこなしながら暮らしていました。

親族家族にカムアウトはしていなかったけど、地元のゲイの人たちとも交流していたと聞いています。大阪のお別れ会にそこで出会った人が来てくれました。

しげさんは知り合う人の言葉を先入観を持たずにちゃんと聞いてくれる人だった。

キュートなエピソードをひとつ。

P3で「ゲイとかレズビアンとかいう言葉を使わないで、自分のセクシュアリティを語ってみる」というワークショップをやったことがあったんです。

欲情に性別が関係無いというあたしの話を聞いて、それを自分に引き寄せて考えてくれて「蟹江敬三にペニスが無かったとしてもイケるわ〜」と話してくれました。

そんなふうに考えてくれる人って、本当にいなかったんですよ。

当時ひどかったバイセクシュアル・バッシングで疲れ気味だったあたしには嬉しい話で、バイセクシュアルの集まりでよくこの話をしました。

後々「蟹江がタイプエピソード」が一人歩きして、新しい彼氏ができるたびに「蟹江敬三に似てないやん」と言われまくって苦情を言われましたけど。



村木

しげさんは、ちょっと鬱だったと聞きました。



御苑生

後で知ったことですが、知り合う前から鬱傾向があったようですね。岡山時代はそんな印象はほとんどなかったですが、長男プレッシャーの話や両親にカムアウトはできないという話をしていた時には重い苦しみを感じました。



村木

私の記憶の中のしげさんはおだやかで、いつもニコニコしていました。



御苑生

両親が亡くなった後、1年ぐらい経ってから、田舎だから仕事も無いし、このまま実家のある街でクローゼットとして暮らすことはできないという結論に至って、またわたしの家の近所に引っ越してくることになりました。



村木

しげさんは生活保護を受けていたそうですね。働くのは難しかったのでしょうか?



御苑生

引っ越してきた頃はもうかなり鬱がひどかったし、介護生活でブランクもあったので、普通に働くのは無理なかんじでした。

セクマイの友人が共同経営している会社で週何回かアルバイトをしていました。

その収入だけでは生活できない程度の収入だったし、奨学金の支払いもあったし、実家が借地の上に建っている家で家の取り壊しをするお金が無くて借地代を払い続けていたので、貯金をくずして生活している状態でした。



村木

しげさんは、自分の生活をブログに書いていましたね。



御苑生

そのアルバイト先の会社が無くなる頃としげさんの鬱が悪化して家から出る頻度が落ちる頃がほぼ同時に来て、それでかなりしんどい中で無茶な就職活動をしたんですよ。

年齢的に40代が迫っていたので、スーツを着る仕事の正社員になるラストチャンスだというかんじで追いつめられているなあと感じていました。いきなり無理しないでアルバイトからやっていったら?と周囲は思っていたんですけど、本人が必死だったので、スーツ生活に無縁だったしげさんを岡山時代からの知り合いのFTMの会社員たちが安いスーツの買い方からネクタイの選び方までサポートしたりして、それはちょっと微笑ましかったです。

就職したのはアフラックで、そんな仕事できるのかなあとわたしたちは不安に思っていましたが、本人が就職しないと、ホームレス、生活保護に、と思い詰めていたので…。

その就職は研修1ヶ月を含めて2ヶ月で終わりました。辞めた後は、仕事の疲れと挫折感でへとへとになっていたように思います。

それで生活保護ということになるわけですが。

最初一人で申請に行って断られたんですよね。それをセクマイ関係の活動の中で知り合ったレズビアンの友だちがサポートして受給にこぎつけました。

鬱で弱ってはいるけれど、しげさんは根っから親切な人なので、大阪に引っ越す直前から始めていたブログに、生活保護の申請のことなどを含めて生活のことを詳しく書いてたんですが、そのブログのコメント欄があれたことがあったんですよ。生活保護を受給している人が、ゲイバーや映画に行っていることが許せない、みたいな。「受給者がゲイバーに行くべきでない」と書いた人とわたしのブログ経由で交流できて、その人もシングルマザーで、自分もしんどくてああいうことを書いてしまった、と謝罪コメントしてくれた。

だから結局和解できたのだけど、それ以降長い間ブログは閉じていたし、完全に公開する形で受給のことは書かなくなったと思う。

受給していることを明らかにすると妙にこじれることがあるということを実感した出来事でした。

葬儀の時、生前は会ったことが無かったたくさんのしげさんの友だちと知り合ったんですが、しげさんが仕事をしているふりをして交流している人たちもかなり居て、生保受給を隠していたいと思うことも多かったのだなあと思うと切なかったし、それを知ったことでずいぶん苦しみました。



村木

ちょっとかけあしですが、しげさんが亡くなった時と、その後の話をお願いします。



御苑生

役所の生活保護の担当者から突然電話がきたんです。役所のほうに郵送で大きな封筒がきて、あなたに渡してほしいと書いてある。担当者さん宛の手紙もあってそれには遺書めいたことが書いてあり、連絡したが出ない。今からアパートの鍵を開けるので来て下さいと言われました。

自殺の予感は全然無かったです。

昼の12時に起きて、夜中の12時に寝るまで、起きている間はずっとベッドに座ってしんどいなあと思っていると言ってたし、死にたいは口癖みたいに言ってたし、鬱がどんどんひどくなっていってる、大阪に来た頃よりずっと重苦しいかんじになっているというのは分かっていたけど。

だからこれは自殺未遂で、アパートに行ったら自殺に失敗してるしげさんに会うのだとなぜか思い込んで行ったんですけど、でも失敗してなかった。自殺していました。

わたしたちセクマイは仲間の死に慣れていて、ゲイであることを隠している親が来る前にゲイバレしそうな遺品を片付ける、というようなことも何度も経験しているので、しげさんの突然の自殺の時もコミュニティの仲間で助け合っていろいろ手際よくできました。

なんでこんなに慣れているのか。親に隠すことになれているのか。と悲しくなりますけど、あの時は助かりました。

その後すぐ田舎からしげさんのお姉さん夫婦が来て、簡単にお葬式をして火葬を済ませて帰ることになったんです。

そういう時、「ここから先は血縁者だけでやりますので」と言われてしまうことが多いんですけど、お姉さんたちはわたしたちを頼りにしてくれたし、大阪での葬儀にずっと居ていいと言ってくれたんです。

突然のことだったのにたくさんの仲間が来てくれました。大阪の人だけでなく、島根岡山からも。

簡単な葬儀のつもりで小さい部屋での集まりだったので、そこから人が溢れていました。

それは、いままでのわたしの経験したゲイの葬式とは違うものでした。

今まで経験したセクマイ仲間の葬儀は、もし参加できたとしても、どこで知り合ったかも言えず、おねえことばも隠し、死因も隠してというものばかりでしたから。

火葬場にも一緒に行かせてもらって、火葬を待つ間、昔P3でやっていたように輪になって座ってしげさんとの思い出話もできました。

しげさんがゲイであることをあけすけには語らないけれど嘘をついて隠すようなこともしない話をするあたしたちをお姉たちは見守ってくれて、「おとなしい子だと思っていた弟に社交的な面があることを知ることができてよかった」と言ってくれました。

その言葉をきっかけに、しげさんはお姉さんを大好きで、大好きだからこそカムアウトできないという苦しさを語ってくれたことがあると伝えることもできました。



村木

話はつきません。笙子さんと下打ち合わせした時は、半日くらい話続けてしまいましたね。



御苑生

こういうことをしたら自殺を止められる、鬱を乗り越えられる、自死された後こうして立ち直りました、というような素敵なアドバイスはわたしにはまだありません。

しげさんに死なれた時、あたしは絶望したんですね。

それまでわたしたちは大丈夫だと思っていたんです。セクマイでない人と比べたらわたしたちには生きづらさがあるけれども、生きづらいからこそ仲間と出会えているし、つらい経験から学んだことも多いから。

だからこそあたしたちは困難を乗り越えることができると。

その自信みたいなものがしげさんの死で消えてしまったんです。

しげさんは活動歴も長いくて知識も豊富だし、あたしの何倍もコミュニケーション能力があるし、愛される人柄だから、しげさんが死ぬなら、だれが生き延びられるのだろう、と思いました。

その後の3年間、自信を失ったまま彷徨っていたと思います。

でもその彷徨いは、つらいばかりではなかったです。いい彷徨いでした。

一番変わったことは支援者との関わりです。

わたしは元セックスワーカーでセックスワーカーの自助グループを運営していますから、支援者というと捕まえてイヤな施設に入れる人という印象しかなかったんですね。

でも彷徨う中でいろんな施設の方と出会って、現場にもどんどん連れて行っていただいて、印象はどんどん変わったし、当事者以外の人が力になりたいと親身に思ってくれているを信じることができました。

わたしが紹介できることはそれぐらいで、本当にささやかなことだけです。

今こういうふうに彷徨っていますという途中経過の報告のようなものですね。

このあとの時間で皆さんの「こうしてみたけどよかった」「こういう窓口があった」「こんな法律がつかえた」というようなお話が伺えたらいいなあと思っています。

もちろん「こんなことやってみたどダメだった」とか「つらくて苦しくて何もできません」という話もできたらいいなあと思っています。



村木

ありがとうございます。拍手を。

皆さん、深呼吸を。体をほぐして。

(休憩)



遠藤

再開します。自分とめばさんで話をします。めばさんは大阪ダルクのセンター長。



倉田

ダルク(DARC)とは、Drug Addiction Rehabilitation Centerの頭文字をとってダルクと名付けられました。2012年末現在、全国数十か所に点在する薬物依存症からの回復施設です。自助グループではありません(薬物依存症者の自助グループとしてはNAというグループが全国にあます)スタッフはその多くが回復をした薬物依存当事者が務めています。わたしも、薬物依存の当事者です。現在大阪ダルクは、デイケア、入所施設があります。Freedomというのは、大阪ダルクの外郭団体で、薬物依存症の家族の相談やグループワーク、薬物乱用防止の啓発活動、弁護士会や刑務所や保護観察所などとの連携など、薬物関連問題についての様々な活動を展開しています。最近は、脱法ハーブの相談が急増していますね。



遠藤

薬物依存について、いろんな情報だと、いろんなこと、複合的に困っている人が、ダルクに出入りしている印象をうける。セクマイについて何か気づくことはありますか?



倉田

大阪のダルクは、セクマイ率が結構高いダルクだと言えるかもしれません。MTFもFTMも今まで何人かつながってきました。ゲイは最近結構多いですね。一方でレズビアンの薬物依存者は今のところ、ほとんどつながってきていないですね。レズビアンであることも、薬物を使っていることも、カミングアウトしにくいのかな?ゲイの薬物依存者はHIV陽性者の人も多いですね。今の日本じゃ、3重のマイノリティ。覚せい剤で警察に逮捕されて、ゲイであることもHIVであることも家族に知られちゃうこともある。セクマイの薬物依存者の家族のサポートというのも今後重要な課題でしょう。家族の衝撃も半端じゃない。



薬物依存症の回復者コミュニティでは、回復すると男は男らしく、やたらとマッチョになりたがる回復者がけっこういます。薬物を使っている時に男性としてのプライドがずいぶん傷つけられてきたので、巻き返しをはかろうとしているのでしょうかねえ。このような土壌の中でセクマイの薬物依存者が一緒に回復をはかっていかなければいけません。たまにホモフォビア、トランスフォビアにさらされることもあります。

大阪ダルクのデイケアは本当に狭いスペースに十数人~多いときは20人以上の薬物依存者が毎日朝から夕方まで、顔を突き合わせて、プログラムをうけています。そういうミックスなセンターに、例えばゲイのダルクメンバーが1人いるのと複数いるのとでは、ずいぶん状況が変わってくるようなこともあるわけです。牽制をしたり、セクマイであることをおおげさにアピールしたり、つるんだりといったことですね。



カムアウトの問題もあります。薬物依存の回復者コミュニティにはクローゼットの状態にあるセクマイの薬物依存者もいるのではと思います。数の把握ができるわけではないですが。ですので、カムアウトしているセクマイの薬物依存者たちだけで誇張的に盛り上がりすぎると、クローゼットの人は引いてしまう。そのことが、回復の場から去る原因になったりしたら、いやだなと思います。日本では、地域の中で薬物依存から回復する場は本当に限られていますからね。そんなこともあって、わたしは、ここ何年かの間に、LGBTの場でアディクションについてお話をさせていただく機会は何回かありましたが、ダルクの場でLGBTについて話すことについては消極的でした。冗談っぽくお尻や胸を触られたことも何度かあります。ですが、ダルクでセクマイの薬物依存者が年々増加してきており、いじめや誤解を防ぐためにも、スタッフやダルクの利用者の皆さんにも、LGBTやHIVについて基本的な知識を持って欲しいと最近思っています。ついこの間あった仙台ダルクのフォーラムでは、はじめて「薬物依存と性的マイノリティ」というテーマで話をしました。



遠藤

セクハラの話は、相手がトランスだから「触ってもいいんだ」と思われているようなところもあるようにおもう。薬物にセクマイがはまるきっかけ、年代などは?



倉田

やはりセックスドラッグとして使われることは、とくにゲイの間では多いようです。「5-meo」という薬物が一時流行った。今は禁止されているが、「5-meo」をゲートウェイとして覚せい剤に移行した人もいました。もちろん覚せい剤はセックスドラッグです。セクマイとして生きづらさからの薬物使用、自己処方としての薬物使用というのはよくある話です。自殺率の高さも最近取りざたされていますが、薬物依存というのは慢性自殺。自殺、事故死で亡くなる人も多い。わたしの周りで1カ月1回の葬式が、4~5カ月続いたこともあった。



遠藤

自殺の話で思い出したのが、4年くらい前に、東京で石原知事が再選されたときのこと。、開票日のあたりに、自分の友達が亡くなった。自称「ハッテン場のフィールドワーカー」で、彼はハッテン場にいりびたっていた。まわりは、彼はセックスが大好きだとみていた。彼についてはいろんな大変な話があったけれど、そのひとつは、彼が麻薬を売っていたということ。それと、すごく驚いたのが、ゲイのサイトで、自分の写真をいっぱい売っていたこと。かっこよかったから、ツイッターでは、彼の写真が出会い系のサイトのアカウントの画像として今でも使われていたりする。めばさんの話を、彼のことを思い浮かべながらきいていた。薬物以外にも、セックスにはまってやめられないとか

いろいろ大変・・というのが、自分の中の薬物依存のイメージ。いろいろからんじゃったときに、どうしたらいいんだろう。ダルクに入っても、うまくやっていけない人もいるのでは。そのあたりどうですかね?



倉田

いろいろと大変なことはあるとは思います。HIVも現在ではいい薬ができてきていますし、死に至る病というイメージではない。もちろんゲイであることが、死につながる原因になることは少ないのではないかと思います。ですが、薬物依存は慢性自殺であり、遅かれ早かれ死を避けられない場合が多い。ゲイであることよりも、HIV陽性者であることよりも、薬物を使っていることを一番知られたくないと言ってた人がいました。



あと、何年も前に聞いた話ですが、HIVの薬は毎日決まった時間に規則正しく飲まないと、その薬が効かなくなるし、その人からHIVに感染した人は、その薬に関しては最初から効かなくなるということ。だから、覚せい剤などの薬物を使用しているひとは、なかなか規則正しくHIVの薬を飲めないから、薬物を使用している間はHIVの薬を投与できないと、言ってましたね。今はどうなのでしょう?



セクマイに限った事ではありませんが、薬物の問題を抱えた人は、何はともあれ、薬物を使わない新しいクリーンな生き方を優先しないと、結局のところ他の事もほとんど上手くいきませんね。第一のことは第一に、です。セックス依存症も薬物依存症と似たような回復プログラムはあります。



ダルクでやっていけるかどうかは、会ったことがないのでわかりませんが、よそでもなかなか受け入れられない人を受け入れるということは、その人が施設できちんとやれない場合、受け入れられなくなるということも同時に含んでいます。この人をここにこれ以上とどまらせておいても、この人にとっても良くないし、これ以上支援できないんだという限界設定がなければ、サポートはできません。



だけど、ひとつの支援団体で上手くいかなかった人に対して、すぐに次の受け皿があると云うのが、本来の社会の在り方だと思うのですが、依存症の分野ではまだまだ居場所が足らないのが現状です。ただ、そういった社会資源をつくり出していくには器とお金と覚悟が必要になってきます。お金をそんなにかけないでできるセルフヘルプグループの存在は重要ですね。



遠藤

最後に。回復するために必要なものってなんでしょう。LGBTならではのものはありますか?



倉田

LGBTならではというものは、特にないとおもいます。依存症のセルフヘルプグループのミーティング(大阪ではレインボー+アディクション・ミーティングがある)には、セクマイのスペシャルミーティングがありますが、そこに参加しているメンバーの多くは依存症のミックスのレギュラーミーティングにも出ている。薬物依存症のメンバーというのは、薬物というところで同じ問題を抱えているので、それなりにつながりは強い。薬物依存者はやはり社会から疎外されている。セクシュアリティ以前に、そこに共通点がある。回復に必要なものは回復のプログラムと仲間同士のフェローシップの二つです。



もちろん、偏見や誤解にもとづく様々なことが起こります。起こらないような配慮も大事かもしれませんが、起こった後、どのように速やかに対処するかのノウハウの蓄積が重要だと思っています。



遠藤

トークセッションに移ります。笙子さん、めばさんの話を聞いて、いかがでしたか?



御苑生

セクハラが無い世界なんてないということは分かっていましたけど…やはりセクハラの話はショックでした。

「人権活動をしていてもセックスワーカーに差別的な発言をする人」との出会いが多いので、めばさんが当事者として語ることが怖かったというお話は身近な話だなと思いました。



倉田

様々なマイノリティや障害者、社会的困難者のなかで、薬物依存者とセックスワーカーは、当事者として公の場やメディアで、露出しにくいという面が確かにあると思います。スーザン・ソンタグが『隠喩としての病・エイズとその隠喩』のなかで、書いている下記の言葉をよく思い起こします。

「かっては病気に闘いを挑んだのは医者であったが、今では社会全体である。要するに、戦争というものが集団のイデオロギー的動員のための機会になってくると、『敵』の打倒を目標としてかかげる改善キャンペーン全部に使える隠喩として、戦争という概念が有効になってくるのである。過去には貧困に対する闘いがあったが、それが今では『ドラッグに対する闘い』とか、特定の病気(たとえば癌)に対する闘いにさま変わりしている」



ダルクにつながってきて、薬物も止まり、長い時間がたった人がある日死ぬ。原因は分からない。貧困というのは、単にお金がないということだけではなく、社会的なつながりをなくしていくということでもあるのかもしれない。一番わかりにくいのは、表面的にはつながっているが、その人にとっては本当の意味でつながっていなかったりしていることに、周囲の人が気づかない場合でしょうね。

自分のことを考えます。これから、年をとっていき、そう遠くない未来のこと。LGBTや薬物依存者に限ったことではないけれど、人は年をとればとるだけ、いろんなものを喪っていく。ストレスから逃れる最終的な手段として薬物依存者のわたしには、スイッチが一つしかないことがわかっている。薬物です。考えても仕方ないことですが、でもやはり、使いたくはないなと。



村木

人生の何かの節目、というのがひっかかっている。

しげさんも、親の介護が鬱が重傷化したきっかけ。

例えば職場で、自分の同期や同僚が子どもや家族などの話をしている時に、セクマイである自分のやりがいや生きがいは何だろうと思う。そうしたところのすぐとなりに、鬱や、薬物があるのでは。

自分も去年休職したが、その時、しげさんの部屋の隣にいる感じがした。

では、参加者の方で、お話をされたい方がいれば。



(参加者の方の話)



御苑生

現役セックスワーカー時代、薬物をやっているワーカーやお客さんとの出会いはありましたが、今話してくれた人とは感覚は違っていました。私は薬物をやっている人がいたら、それがお客さんであってもワーカーであってもその店はすぐ辞めて違う店に移っていましたね。

薬物をやっている人を捕まえる過程で、店が摘発される可能性があるから。

その人を助けるとかは全然考えられなかった。

自分を守るのが精一杯。お互いに分断され、助け合えない状況だと思います。



薬物を止めたい人の団体はある。セックスワークを辞めたい人も婦人保護施設に入ることもできる。

でもセックスワークを労働だととらえて、安全に働くための助けをしてくれるところはありませんね。

セックスワークを辞めたい人のサポートと言ってもセックスワーカーだった過去を隠さないと再就職が難しい状況を変えることには取り組んでないですから、そこもしんどいとこです。



参加者からの質問

薬物依存の当事者のサポートをされているとのことですが、その家族、周囲の人たちをサポートするところはないのか?



倉田

フリーダムでは電話相談をやっています。薬物依存者の家族の相談も電話で受け付けています。電話相談の受け付けは、毎週土曜日 午後3時~7時

06-6320-1196

http://www.freedom-osaka.jp/?page_id=9



また、家族の来所面接相談も受け付けています。問い合わせ、予約は

月曜~土曜 10時~18時 06-6320-1463(Freedom)

LGBTの薬物依存者の家族の方はわたしを指名していただいても結構です。

また、家族のグループワークもやっていますので、紹介いたします。



御苑生

しげさんが自殺した後、遺族仲間ではない人と話をしたいと思ったことがあったんですけど、わたしが参加できる自死遺族の集まりというのが難しくて。

遺族には友だちは含まれない、血縁者だけ、婚姻関係だけというところもあったし、お友だちも参加できますというところだって、どうせそこには全員へテロだろう、自分がセクマイであることを隠してヘテロを演じてながらしげさんを失ってつらい話ができるだろうか?と思うとどこにも行けなかったです。

そちらの集まりはゲイフレンドリーですかと事前に問い合わせるなんてことは元気なときにしかできないですけど、自死遺族の会に参加したい時に元気なんてないわけで。

さっきのめばさんみたいに「家族ってどういう範囲で?」って言うだけで、同性だけどカップルかもってとこまで含めて回答してくれる人にたまたま当たればいいですけど。



セクマイ固有の問題はコミュニティーの狭さもありますよね。

恋人と別れると2人で出入りしていたコミュニティーに近づけなくなり、他に選択肢も無いから孤独になってしまう。

しげさんとあたしはゲイ男性とバイセクシュアル女性の家族的な強い繋がりで、恋愛関係ではなかったですから、そういうふうに恋愛がらみで疎遠になることはなかったですけど、最後鬱がひどくなっていくしげさんをうまくサポートできなかったという後悔は今でもあります。

溺れる人を助けに行って一緒に溺れてしまう恐怖のようなものだったかも。



村木

自分が一番しんどい鬱状態だった時のことを考えると、すごく孤立していて死にそうだった。友達は沢山いるはずなのに、その時は助けてと手を伸ばせなかった。少し元気になってきた時に、ふと友達がいたことに気づいた。一番しんどい時は人の繋がりに気付けなかったし、友達も下手に手を出せなかったのではないか。

最後に感想を一言ずつ。



御苑生

セックスワーカーであることやセクマイであることを明らかにして語る機会は多いんですけど、たいていアウェーに乗り込んで行って話すかんじなんです。

でも今日はアウェーな感じではなく、ホームな感じで話せました。

しげさんの命日にはいつも小さい集まりをしていますが、今日はいつもより開かれていて、でもホームなかんじの場所で話すことができて嬉しかったです。

ありがとうございました。



倉田

わたしは、自分がマイノリティであるがゆえに、いろんなところで傷ついたり、偏見を持たれたりすることもあって、それをどう跳ね返していくかを考える際に、周りや社会が変わってほしいと願うことも大切だけど、それ以上に自分がどう変わっていくか、そのスキルを持つと云う事が、大事だと思っています。それを今後もやっていきたい!



遠藤

生々しいとおもいながら聞いた。自分の危うさもあるのだが、友達などの危うさも感じている。それでも、今ある中でやっていくしかないという重たさを改めて感じている。



村木

長い時間ありがとうございます。

語りきれなかったところは交流会で。

ゲストの方に拍手を。

ご来場ありがとうございました。



以上

2012年11月21日水曜日

11/24 イベントについての諸連絡

11/24のトークイベント【セクマイ×貧困】に関する諸連絡です。

○会場の広さの関係で(最大50人)事前にお申し込み頂くようにしております。お手数ですが、お名前と参加人数をお知らせ下さい。仮名でも結構です。
kururinosaka@gmail.com
Twitter @kururinosaka

○会場は前回と変わりまして、地下鉄・阿波座駅が最寄りのFACTOというスペースですので、ご注意下さい。初めての方は少し分かりにくいかもしれませんので、地図を良くご確認頂き、時間に余裕を持ってお越し下さい。お手洗いは男女共用のものが一カ所です。
http://facto.jp/access


○要約筆記ですが、現時点で担当可能なボランティアの方は1名です。出来ればもう1名参加して頂ければありがたいので、ボランティア可能な方はお知らせ下さい。

○終了後の交流会ですが、参加費を出来るだけ抑えたいということで、参加費100円とします。主催者側ではお茶と簡単なお菓子だけ準備致しますので、物足りない場合のお食事メニューは、各自お持ち込み頂くか、会場近くのコンビニでお買い求め頂くようお願い致します。交流会の場所は、トークイベントの会場を引き続き使用いたします。


【セクマイ×貧困】
不安とあやうさと、私たちの「つながり」。

 最近話題の貧困問題。失業、生活保護、依存症、介護、育児…これらは当然、セクマイにもあります。しかし、貧困問題はモテ重視の当事者コミュニティでは見て見ぬ振りをされがちで、貧困問題に関わる支援者はカムアウトの壁があって問題の核心に近づけない事が多いです。そこで、その谷間にどのような現実があるのか、実際の大阪の事例をシェアするトークイベントを企画しました。セクマイと貧困の谷間を埋める知恵を、考えたいと思います。

日時 2012年11月24日(土)16:00-18:00
会場 FACTO 大阪市西区西本町2-4-10浪華ビル201

ゲスト 倉田めばさん(大阪ダルク)、御苑生笙子(みそのおしょうこ)さん(SWEETLY)
参加費 無料(終了後の交流会は100円)

以上

2012年11月18日日曜日

セクマイについて、今日からできる10のこと


くるりん大阪からの提言として、「セクマイについて、今日からできる10のこと」をまとめました。特に異論もなく、11/11のトークイベントで話された内容とも特に齟齬がありませんでしたので、原案のままになります。とりまとめにご協力頂いた皆さま、ありがとうございました。

セクマイについて、今日からできる10のこと

1) 相手の話をきめつけず、まるごと受け止めよう

2) 自分とは違う人との出会いを楽しもう

3) 話せることから自分のホンネを伝えよう

4) 自分がほんとにしたいことをしてみよう

5) LGBTのことを話せる範囲で話題にしよう

6) 図書館にLGBTの本をリクエストしよう

7) LGBTの出てくる漫画を周囲にはやらせよう

8) 自分の好きなファッションをしよう

9) 愛するひとを思いっきり好きになろう

10) 他の人の愛も大切にしよう


以上

2012年11月7日水曜日

今日からできる10のこと(案)

くるりん大阪からの提言として、セクマイについて「今日からできる10のこと」をまとめたいと思います。イベントに参加したり、このくるりん大阪に関心を持って下さった方が、日常で使える具体的な提案ができたらいいなという思いです。

今日からできる10のこと(案)

1) 相手の話をきめつけず、まるごと受け止めよう

2) 自分とは違う人との出会いを楽しもう

3) 話せることから自分のホンネを伝えよう

4) 自分がほんとにしたいことをしてみよう

5) LGBTのことを話せる範囲で話題にしよう

6) 図書館にLGBTの本をリクエストしよう

7) LGBTの出てくる漫画を周囲にはやらせよう

8) 自分の好きなファッションをしよう

9) 愛するひとを思いっきり好きになろう

10) 他の人の愛も大切にしよう



この案を元に、トークイベントで出てきた話や、メールやツイッターで頂いたご意見を参考にして、イベント終了後に最終化し、こちらで公表致します。

新しいアイディアやご意見がありましたら、是非、kururinosaka@gmail.com にお寄せ下さい。

2012年11月1日木曜日

イベント ちらし

イベントのチラシを作成しました。プリントアウトしてご使用下さい。PDF版が必要な方はメールでお知らせ下さい。